From samura@cphys.cla.kobe-u.ac.jp Fri Jan 20 20:56:57 1995

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はじめまして。神戸大学の佐村と申します。

ニュースを送るのは初めてですが、神戸大学からインターネット
がつながり、できるだけ現地の情報をお知らせできればと思い、
不慣れながら投稿させていただきました。(ただし私の情報は
神戸大学の周辺(または灘区)に限らせていただきます。また
テレビなどで得られる情報は出来るだけ省きます。)

※被害状況(地震当時)

まず神戸大学は神戸市灘区にあります。神戸三ノ宮の東側に位置
します。そして灘区には3つの鉄道が東西にほぼ平行に走ってい
ます。南(海)側から阪神・JR・阪急電車です。灘区の被害状況
をおおまかに把握しようとするならこれらの鉄道が大体の目安と
なります。

まず阪神・JR線から南側及びその付近の破壊度はすさまじいものです。
まさにテレビや新聞で見られるそのままの情景を思い浮かべていただい
ていいと思います。この辺一体は地震当時から電気・ガス・水道が
ストップしています。そして家の崩壊は、建てられた年月の古いほど
ひどいつぶれかたをしています。下宿している学生は
家賃が安いという理由でこのような古い型の家に住んでいて被害にあ
っているようです。地震当日は近くの小中学校に非難して暗く寒い夜を
過ごしたようです。今ではこの辺りに下宿している多くの学生は実家
に帰っています。また電話をかけるにしても公衆電話には1台につき
20人以上並んでいます。これは自宅からかけるよりかかりやすいか
らです。しかしすぐにはつながらなることはほとんどなく1時間以上
は待たされたのではないと思います。

次に阪急線から北側は上記の状態に比べるとほとんど被害はありませんでした。
阪急線から北に行くとだんだんと急な坂になっていきます。そして神戸大学は
阪急六甲駅からから数百メートル登ったところにあります。全く被害がなかっ
たということはありませんが、被害数が圧倒的に違います。
もし灘区を北側から南側に横断すれば全く異なった情景に出会うでしょう。
つまり普通の住宅地から廃虚の町に突然変化します。
幸いわたしの家は阪急線から北でしたので地震の揺れほどの
被害はありませんでした。このあたりは地震当日の夕方ごろには電気が
大半回復していました。大学を少し出ると海側の様子を見ることができます。
夜になると一帯が停電のため真っ暗な町になります。そして火事の起きたと
ころだけがオレンジ色の光で家が燃え上がっています。
100万ドルの夜景と言われた神戸の町はもうそこにはありません。
その日は大きな余震を何度か感じました。

※現在の状況(神戸大学の周辺)1月20日午後8時現在

地震から四日経ってまだ余震はまだありますがたいぶ落ち着いて
(地震に対して慣れて)きました。これからの課題は
<どうやってこれから生活していくか>にあるようです。
そのときガスと水道がいつ届くのかということは本当に
知りたいことです。

<<電話>>地震当時はほとんど電話がかかりませんでしたが、
今ではだいぶ電話がかかるようにようになったみたいです。

<<住>> 家の明りを見ると、阪急線より北に住んでいる人は
そのまま住んでいることがわかります。しかしだんだんと明りが
少なくなっていくところをみるとガスと水道のあるところに避難
されているのではと思います。
一方、国際文化学部と農学部では住居に被害のあった人を受け入
れているようです。毛布などの配給を手伝いに行った人の話によ
ると国際文化学部の体育館に約2000人くらい集まっているよ
うです。

<<食>> わたし達の場合、地震一日目は皆で家にあるものを
持ちよって、また大学生協が在庫のある食料品を出して貰ったの
でなんとかしのげました。二日目は朝から、近くにあるCOOPに行
って2時間並んだ末に食料を買いました。三日目からは大学に
来る先生の差し入れや大学からの配給があり、食べ物の不安はだ
いぶなくなりました。(もしこれを神戸大の中で読まれて食料に
困っている学生は所属事務に問い合わせてみてください。)
体育館に避難している人々も少しずつ配給があるようになったよ
うです。こちらに来た当初はパンと牛乳だけという状態だったよ
うですが、四日目の昼はパンとチーズとバナナとみかんと、質素
ですがすべての人にゆき渡ったみたいです。

<<電気>> わりと安定に流れています。電気が供給されている
地域も徐々に増えていっているようです。しかし地震当初はすぐに
停電になったため、懐中電灯も携帯ラジオもないのでライター片手
に家を出て、大学に情報を求めに行きました。


<<ガス・水道>> どちらの供給も止まっています。これはすべ
ての人が本当に困っています。大学や団地では地震当時給水タンクに
残っていた水やガス管内に残っていたガスが少しありましたが、3日
たって完全に止まっています。今では給水車が来るとポリバケツや
やかんを持って長蛇の列ができます。”風呂に入りたい”という思いは
わたし一人でなく、この地域の住人すべてに共通の願いではないでし
ょうか。

<<交通>> 大阪・京都からは阪急電車でで西宮北口まで来て、
あと3時間かけて歩いてくる人がほとんどみたいです。ある学生は、
風呂にはいりに6時間かけて往復したらしいです。

<<神戸大学のネットワーク>> 現在六甲台第3校舎へと名谷キャンパスへ
の接続は断たれているようですが、その他のところでは
回復しているようです。また神戸大学のWWWサーバーに地震関連情報を
掲載する予定らしいです。