Date: Tue, 7 Feb 95 12:33:24 +0900
Sender: matsuda@jet.earth.s.kobe-u.ac.jp (MATSUDA TAKUYA)

Updated : 
Date: Sat, 18 Feb 95 12:32:55 JST
From: matsuda@jet.earth.s.kobe-u.ac.jp (MATSUDA TAKUYA)


私は私の属する天文学関係、数値流体力学関係のネットワークに
阪神大震災のレポートを流しています。その第3弾が物理学会の目にとまり
学会誌に掲載されることになりました。参考のために私の文をアップします。
ただこの文から少し変更はされています。水道が来たこととか。

松田卓也
〒657神戸市灘区六甲台町1 神戸大学理学部地球惑星科学科
e-mail: tmatsuda@icluna.kobe-u.ac.jp
        matsuda@sc181.earth.s.kobe-u.ac.jp
Tel.: 078-803-0575, Fax.: 078-803-0490


         阪神大震災報告第3弾
                        松田卓也@神戸大学
あの大震災からもはや半月が経過しました。人の噂も75日といいますが、昨今の情報
過多時代では7.5日かも知れません。阪神大震災について関西以外では関心も薄くな
ってきたようです。実際、関西から東京に行った人は、その格差に愕然とするといいま
す。あるいは、神戸、いや西宮から大阪に行ってすら、その差には唖然とするものがあ
ります。一方では、瓦礫の山であり、戦後の闇市を思わす雰囲気が漂っています。人々
はリュックを背負って急ぎ足で歩いたり、ぎゅうづめの代替バスに乗っています。しか
し、わずか数十キロメートル離れると、静かなあるいは華やかな日常世界が広がってい
るのです。その非日常と日常、あるいは地獄と極楽を私は行き来しています。この大震
災は、日常世界にいるあなたにとっても、人ごとではないはずです。日本では、このよ
うな災害はいつあなたに降りかかってくるかもしれません。そこで私の現時点での知識
と印象それによって得られた教訓などを纏めてみました。なにかの参考になればと思い
ます。

呼称について
 一部には関西大震災という呼び名もありますが、関西というと大阪、京都も含むので
、かならずしも適切とは思えません。兵庫県南部地震というのが、もっとも正確な呼称
でしょう。しかしもっとも被害をうけたのが、淡路島を別とすれば、神戸市、芦屋市、
西宮市といった阪神間の都市であるから、阪神大震災という呼称が適切と思います。も
っともこの呼称には、淡路島の人は割り切れない感じを抱いていると聞きました。その
ほか私の住む伊丹市、太陽系物理学の向井正さんの住む宝塚市などの兵庫県の都市が一
部被害を受けています。

被害の局所性について
 直下型地震ということもあり、地震被害は兵庫県南部という比較的狭い範囲に集中し
ています。しかしそのなかでも、被害は一部に集中していることが特徴的です。神戸市
は南が海、北が六甲山に挟まれた南北に狭い、東西に長い町です。そこに北から新幹線
、阪急、JR、阪神の鉄道が走っています。その鉄道の全部がやられたことが重大です
。新幹線で壊れたのは、伊丹、西宮などの市街地を走る部分で、残りは山のなかで無事
です。道路は北から国道2号、阪神高速とその下を走る国道43号、海岸を走る湾岸線
ですが、無傷なのは2号線のみです。さらに北に山手幹線がありますが、これは芦屋市
内では、住民の反対でもともと通ってません。山手幹線は無事です。代替バスは2号か
ら山手幹線に抜けて通ってます。昔にできた阪神高速が大被害を受けたことはご存じで
しょう。しかし、最新の湾岸線も壊れたことには、割り切れないものを感じます。
 さて神戸市街の東部は阪急より北の山の手、阪神より南の浜側、その中間地帯、ポー
トアイランド、六甲アイランドのような人口島に分けられます。神戸大学の付近を観察
すると、一番被害を受けたのは中間地帯で、次に浜側、山の手はほとんど被害を受けて
いません。神戸大学は阪急線の北の山の手の崖の上にあります。崖にへばりついたマン
ションや家が回りにはたくさんあり、一見、地震で崩れそうですが、現実に壊れたのは
平野部の家とマンションです。神戸大学に最寄りのJR六甲道駅は完全に倒壊し、その
南側がもっとも大きな被害を受けています。阪急六甲駅は大丈夫のようです。
 この現象は市の中心部でもそうです。三宮の市街地は大きな被害を受けましたが、こ
こは中間部です。山の手には異人館があります。異人館にも被害はありますが、三宮ほ
ど顕著ではありません。人口島は液状化現象の被害はあるものの、建物の大規模な倒壊
とか火災はなく、死者も無いか少ないと思います。
 私の昔の学生が長田区に住んでいます。彼は20日に新神戸駅のそばのホテルで結婚
式を挙げる予定で、私は仲人でした。それで彼の安否を気づかったのですが、彼の話で
は、家は長田区でも山の手で、問題は無かったそうです。別の元学生の話でも、長田区
の山の手に住むお婆さんを心配して駆けつけたら、炬燵でテレビを見ていたとか。長田
区といっても広いので、どこが火事なのかテレビでいってほしいものです。
 これほど、地震被害は狭い地域に集中しているのです。その原因は地盤の強度にある
と思われます。山の手は岩盤ですが、中間部や浜側は軟弱な地盤です。人口島も軟弱で
すが建物の下には深く杭が打ち込んであり、建物自体は無事でした。神戸大学の付近に
は沢山の活断層が有るのですが、建物はそれらを避けて建てられています。ですから、
神戸大学の建物で致命的な被害を受けたものはありません。
 原因かどうかは分かりませんが、結果的には山の手や人口島に住むお金持ちは無事で
、庶民が多く住む地域がひどい目に会ったということです。学生の下宿は、中間部にあ
る古いアパートや民家が多く、大きな被害を受けました。
 被害の局所性というのは非常に顕著で、今述べた地域差ということの他に、完全に倒
壊した建物と一見無事な建物がとなりあっている場合など印象的です。この差は建物自
体の強度でしょうから、やはりお金持ちの新しい家、立派なマンションは無事という教
訓が得られます。私の学生で2名が下宿を無くしました。下宿代の安いアパートです。
高い下宿代を払って立派なマンションに住んでいた学生は無事でした。気の毒なのは、
来年度4月に他大学から入学予定の院生で、すでに前の下宿を引き払い、15日に神戸
大学の近くの下宿を借りて、荷物を運び込んだ人です。当人はそこにはいなかったので
無事ですが、荷物や敷金はどうなるのか。運が悪いとしかいいようがありません。

神戸大学の被害
 人的被害についていえば、大学全体で職員が2名、学生が39名死亡しました。理学
部では職員1、学生 5 で、地球惑星科学科では職員1、学生1です。地球の職員は、朝
倉純子さんという事務助手です。朝倉さんは病気で入退院を繰り返していましたが、こ
の頃は自宅療養をしていました。ところが地震のショックと食料難で様態が急速に悪化
、2日後に入院しましたが、手当てをしてもらえず放置されました。それでさらに悪化
して、最後は集中治療室にいれられましたが、10日後の27日に死去されました。死
亡した学生は3回生です。父兄が当学科に来られて、世話になったからと10万円置い
ていかれました。
 物的被害は実験器具です。地球学科ではある教授が6千万の機械が壊れたとか騒いで
います。また電子顕微鏡の上に棚が倒れてきた場合もありました。この場合は幸いに、
棚の上にあった箱がクッションになり、本体は無事でした。しかし、液体窒素が無くな
ると壊れるのでと、担当者は心配していました。生物学科では、飼っていた生物が停電
のため死んだりして、3年間の研究がパーになった先生もいます。4人かがりで持つ金
庫の下に、ソファーが入り込んでいたという例もあります。980ガル以上の加速度が
上下に働いたのでしょうか。
 私の研究室の被害は軽微です。私の部屋は棚の上の物が落下しただけ。中川助教授の
部屋では書棚が机の上に倒れて、ガラスがわれ、机の足が曲がった。私たちの計算機室
では書棚が倒れましたが、さいわいコンピュータには届かず、コンピュータは無事です
。院生の部屋は書棚は倒れていません。外して立てかけてあったドアすら倒れていませ
ん。不思議です。廊下の岩石見本の置いてあった棚は倒壊して、そのままです。向井研
究室では、地震当日院生が何人か寝ていました。その一人は腹の上に書棚が倒壊したそ
うですが、本人は無事でした。

ライフライン
 神戸大学では、現在は電気は来ています。水道は市水は断水していますが、山から引
いている雑用水は大丈夫で、トイレは使えます。私の部屋の水は出ませんが、院生の部
屋はもともと実験室なので、雑用水がでます。実は今まで自分たちの飲んでいた水が、
トイレ用の雑用水であることを知りませんでした。ガスは来ていません。私たちの部屋
には集中冷暖房のような立派なものはなく、ふだんでも暖房はガスストーブです。その
ガスがないので寒いことおびただしい。電気ストーブが1台だけありますが、ほとんど
役に立たない。泊まるときは、ホカホカ・カイロを4つも使いましたが、あまり役に立
たなかった。

インターネット、電話
 インターネットは生きています。当初、神戸大学のコンピュータの反応がなく、皆様
にご心配をおかけしたと思います。地震当初は停電のためコンピュータはすべてダウン
しました。しかし電気は数時間後には復旧していたのです。ところが火事の心配を慮っ
て、施設が電気の元スイッチを切ったのです。生物科と化学科では、近くに教官が住ん
でいたのですぐにやって来て、被害を調べて、その後通電させました。ところが物理や
地球ではそれができず、通電したのは数日後でした。下宿が崩壊した院生や秘書一家が
大学に来たのですが私の研究室では寒いので、通電していた工学部に泊まったそうです
。
 私の部屋のコンピュータが再稼働したのは、私が西宮北口から徒歩で4時間かけてき
た20日のことです。それ以後はインターネットは働いています。山のようなメールを
頂きました。神戸大学では、阪神大震災専用のWWWのページを作っています。関心あ
るかたは覗いてください。海外からの安否の確認には、これが役に立つようです。
 電話は当初はとても混んだことはご存じでしょう。行政電話は使用できたようです。
ようするに専用回線はOKだということです。私は携帯電話はきらいです。電車の中で
大声で話している人の常識を疑います。しかし、こんな事態では、携帯電話はとても役
に立ったようです。19日に学科長と携帯電話を通じて話しました。朝、私が京都から
電話したときは、彼は堺の自宅を車で出たところでした。私が伊丹についた夕方には、
伊丹近くの道だといってました。夜には宝塚あたりだといってました。有馬を抜けて神
戸についたのは、早朝だそうです。
 事務室のファックスもすぐに回復したのですが人手がなく紙づまりに対処できません
でした。

交通機関
 いちばん頭が痛いのがこの問題です。私は伊丹に住んでいて、普段なら阪急で1時間
で通勤しています。阪急伊丹駅は倒壊したので、その手前の新伊丹までしか阪急は来て
いません。神戸側では阪急は現在は西宮北口までです。JRは芦屋までで、このほうが
大学に近い。阪神はさらに進んで、神戸市の青木(おおぎ)まで来ています。私は今は
JR伊丹からJRに乗って、尼崎で乗換て芦屋で下りて、代替バスで六甲道まで行き、
そこからバスで大学に行きます。片道の所要時間は、早いときで2時間、ふつうは3時
間です。昼間の代替バスはとても混みます。阪急の被害はとても大きく、それで大学に
行けるのは半年後ということです。JRは2月8日には住吉まで、阪神は2月中旬には
御影まで延びますから、大学にはもう少し近くなります。それ以上大学に近づくのは、
やはり半年後でしょう。

授業、試験
 理学部では1月31日に学生を集めて説明会をしました。授業は今年度は中止で、試
験はレポート試験になります。そのテーマが通知されました。学生はレポートを理学部
教務係に郵送することになります。当学科では修士論文の全体発表会は中止です。各グ
ループごとに行われます。修士論文の提出期限もほぼ1カ月延期されました。
 入試は前期、後期とも1日遅らして実施されます。試験会場は神戸大学の他に、大阪
大学、岡山大学を借りて実施されます。頭の痛い問題は、新入生の生活です。たしかに
、試験に通っても、当面下宿を見つけるのは至難の技になるでしょう。下宿街がほとん
ど倒壊するか燃えてしまったからです。といって大阪に下宿すると通学が困難になりま
す。
 私の研究室には3月20日からベルギー人のH.Boffin氏がポスドクとして来
ることになっていましたので、その受入れに苦慮しています。彼はSPHで降着流の計
算をしている人です。当人は12月に日本に来て、東京で日本語の研修を行っています
。当面半年ほど、阪大か京大でお世話ねがえませんか。

地震対策
 地震対策といっても、国、地方自治体レベルのもの、家庭レベルのものなどあります
がここでは研究室レベルのものを考えてみましょう。まず第一に重要なのは、本棚の転
倒防止策です。つぎにコンピュータの落下防止ですが、これは私の場合は幸い問題あり
ませんでした。次に住むところを失った職員、学生の避難所としての研究室です。私の
研究室にはソファーベッドが1つありましたが、毛布がなく泊まることはできませんで
した。簡易ベッドに毛布ないしはスリーピングバッグは必須と思います。ライフライン
のなかでは、電気が真先に復旧するので、電気器具が役に立ちます。電子レンジ、電子
ポットは役に立ちました。隣の研究室では停電のため、冷蔵庫の中のものが腐ってしま
ったそうで、廊下に悪臭が蔓延していました。ホットプレートなどの電子調理器があれ
ば良かったのですが。ラジオ、テレビも必要です。暖房器具としては、電気ストーブは
必要です。
 乙藤教授の地球電磁気学研究室は普段から研究室で年100回のコンパをしていると
豪語するだけあって、なんでもそろっています。地球惑星科学科の地震対策本部を自称
していました。乙藤教授によれば、コンパは災害演習なのだそうです。被災後から乙藤
研には周囲から見舞客、食料、情報が山のようによせられました。私も宿泊したときは
、食事、テレビ、新聞のお世話になりました。研究室員の安否情報は現地ではなく、千
葉大学で調べられたといいます。それがファックスで送られてきました。関東との電話
のほうが、通じやすいということがあったようです。
 研究室における食料、水の備蓄も必要でしょう。それに懐中電灯、電池も必要です。
ヘルメットや工具もあったほうがいい。ともかく、行政にはたよらず、研究室単位の備
蓄をしましょう。みなさんも転ばぬ先の杖ですから、今から準備されることをお勧めし
ます。なにかお役に立てたでしょうか。